子どもにかける「期待」について ②期待は毒にも薬にもなる
期待は、毒にも薬にもなる。取り扱い注意!
こんにちは。戸塚区柏尾町の学習塾、フィロソフィア柏尾教室塾長の水落です。
前回は、「誰もが、つい期待してしまう」と題して、どうしても持ちがちな、そして言葉としてかけがちな「子どもへの過大な期待」の副作用についてお話ししました。
前回の記事は👉こちら
*
今回は、この前回お話しした内容をふまえて、「期待は『毒にも薬にもなる』」というテーマで書いてみようと思います。
「毒にも薬にもならない」という言い方があります。
「害はないけれど、役にも立たない」という意味です。
けれど、期待はそういう空気のような存在ではありません。人は、誰かと関係を結ぶかぎり、良くも悪くも何かを期待してしまうものです。
*
期待は人を前に進ませる力になります。
「自分の努力を誰かが見ていてくれている」と感じられると、モチベーションが高まるものです。
一方で、期待はときに重荷にもなります。
期待があまりにも過大だったり、逃げ場がなかったりすると、人はそれに押し潰されてしまいます。
期待は、背中を押してくれるものになることもあれば、後ろから突き飛ばしてくるものにもなりうるのです。
*
ここで、少し変わった話をしてみます。
古代ギリシャ語の言葉
古代ギリシャ語に pharmakon(ファルマコン) という言葉があります。
これは、<「薬」であると同時に、「毒」にもなりうるもの>を指します。
つまり、同じ「薬」でも、使い方次第で人を助けもすれば、傷つけもする、というわけです。
また、近い言葉に pharmakeia(パルマケイア) というものもあります。
ざっくり言うと「薬を扱うこと」という意味ですが、文脈によっては、治療だけでなく、毒を扱うことや、薬を使った呪術のような行為を意味することもあります。
良いものと危ういものが、そのなかで混ざっているような言葉なのです。
プラトン(古代ギリシアを代表する哲学者)が書いた『パイドロス』という本には、文字の発明をめぐる有名な神話が出てきます。
発明の神は、「文字は記憶と知恵の助けになります」と言って文字を差し出します。
ところが王様は、「たしかに便利だが、それに頼りすぎると、自分の頭で覚える力が弱くなるかもしれない」と警告します。
文字は、人間を助ける道具であるとともに、人間の力を弱めてしまう可能性もある。
つまり文字もまた、使い方次第で薬にも毒にもなる、まさにファルマコン的な存在だ、というわけです。
期待にも、「ファルマコン」によく似たところがある
さて、ここからが本題です。
私は、期待にも、このファルマコンとよく似たところがあると思うのです。
期待は、人を育てる薬にもなりますが、用法用量を間違えれば、相手の心をしんどくさせる毒にもなってしまうからです。
(最近話題のAIなんかも、かなりファルマコンっぽいなあと思います。)
以前書いた、AIについての記事は
「AI時代に一番勉強すべき科目は?(前編)」は👉こちら
「AI時代に一番勉強すべき科目は?(後編)」は👉こちら
その境目になりやすいのが、
期待の「量」
期待の「由来」
期待の「表れ方」
です。
同じ期待でも、どれくらいの強さで、誰の不安や願いに端を発するもので、どんな言葉で伝えられているかによって、相手に与える影響は大きく変わります。
*
次回は、家庭や塾で実際によく起きる場面を思い浮かべながら、そんな期待が
「薬」になるとき
「毒」に近づいてしまうとき
の違いについて、もう少し具体的に考えてみたいと思います。
次回もぜひ読んでみてくださいね。
当塾では、お子さん一人ひとりの性格・特性等に寄り添いながらモチベーションを高める授業を行っております。
完全個別指導や少人数制の授業など、一人ひとりの個性やご希望に合わせたプランをご用意しておりますので、安心して受けていただけます。
体験授業や面談も行っております。
ご相談だけでもかまいません。下記フォームより、お気軽にお問い合わせください!
***