子どもにかける「期待」について ③期待が「薬」になるとき、「毒」に近づくとき
期待は「使い方」が大事
こんにちは。戸塚区柏尾町の学習塾、フィロソフィア柏尾教室塾長の水落です。
前回の記事では、「期待は薬にも毒にもなりうる」ということを書きました。
前回の記事「子どもにかける「期待」について ②期待は毒にも薬にもなる」
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今回は予告どおり、もう少し具体的な場面に引き寄せて考えてみます。
わたしが考えている、「毒になるか薬になるかを分ける」要素は、
②期待の「由来」
③期待の「表れ方」
の3つです。
一つずつお話しします。
①「量」について
期待が薬になるのは、相手が「手を伸ばせばなんとか届くかも」と感じられるくらいの範囲までです。
たとえば、国語の定期テストの得点が30点に届かなかった子がいたとして、「平均点くらいは取ろうよ」と言うよりも、「まずは10点アップを目指そうか」と話したほうが、子どものモチベーションは上がりやすくなります。
逆に毒になりやすいのは、期待が大きいということ以上に、そこに逃げ場がないときです。
「自分の期待に応えないなんて許さない」みたいな空気のなかに置かれ続けると、人は頑張るどころか、感情を押し殺して身を守ることしかできなくなります。
②「由来」について
次は、「期待がどこから来ているのか」です。
「あなたのために言っている」「できなくて困るのはあなた」と言いながら、じつは大人自身の不安を子どもに投げかけてしまっていることがしばしばあります。多くの大人は世間からのプレッシャーにさらされ続けているので、自然とそうなってしまうのです。
たとえば塾講師であれば、「この子が良い点を取らなかったら、上司や保護者から自分はどう評価されるだろう」と不安になり、その不安を押し付けるようにして子どもにプレッシャーをかけてしまう、ということが起こりえます。
ただ、子どもは勘がいいので、「この人は自分を応援しているというより、何か別のものを背負わせようとしている気がする」と、案外きちんと見抜きます。こうなると、期待は毒のほうへ傾きます。
③「表れ方」について@>
「期待をどんなふうに表現するか」はきわめて重要です。同じ中身でも、言い方ひとつで薬にも毒にも寄ります。
ここで言う「表れ方」には、言葉そのものだけでなく、言う頻度やタイミング、さらには言葉にしない沈黙の圧のようなものも含まれます。
たとえば「なんでやらないの? できるでしょ?」と言うよりも、「今回は難しかったかもしれないけど、何かしら方法はあると思うんだ。やれることをいっしょに考えよう」と言ったほうが、薬のほうに寄りやすくなるでしょう。
期待が薬になるのは、それが命令としてではなく、「次の一歩の提案」として届くときだと、わたしは思います。
期待は、関係のなかに生じるある種の温度のようなもので、熱すぎても冷たすぎてもよくありません。
でも、ちょうどいい温度にあるかぎりで、人を励まし、元気にする力を持ちます。
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自分のうちに生じている期待を点検することは、指導的立場にある人の大事な仕事です。
量が多すぎないか。自分の不安を押し付けていないか。相手が受け取れるかたちになっているか。
ここを押さえるだけで、期待の効果はまったく違ったものへと変わります。
期待を毒ではなく薬に寄せられるかどうかは、その気遣いの有無にかかっています。
だからこそ、言葉をかける前に一度だけ、「自分は背中を押そうとしているのか、それとも突き飛ばそうとしているのか」、自分に問い直したいと思います。
次回は、「毒が入り込んでしまった場合、どうやって治療するか、毒を取り除くか」、その方法をお話しします。
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